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【ギタリストの為のモード奏法】vol.09『モードの成り立ちと、基礎的な音楽の形式、体系について』

※この講座はメールマガジン読者向けに連載していたもので、
全24回、PDFファイル135Pのボリュームになっています。

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vol.09 モードの成り立ちと、基礎的な音楽の形式、体系について

 

では、vol.09、始めていきましょう。

 

さて、ここまで具体例を交えながら、代表的なモード・スケールの構造を見てきましたね。

 

そろそろ、各スケールの使い方に入っていこうと思いましたが、今回はまず、そもそもの話として、『モード(旋法)』と言うモノ成り立ちや、音楽体系の発展について知っておきましょう。

 

それと、もう一つ重要な事なのですが、モードには、我々がメインで学んでいる、チャーチ・モード以外にも世界中に色々な種類がある、と言う部分も大事な認識です。

 

例えばチャーチ・モードは「教会旋法」の和訳通り、大元は、グレゴリオ聖歌などの単旋律の音楽(1つのメロディー(1パート)のみの音楽)にバリエーションを持たせる為に、発達したものとなっています。

 

要するに、一人の時は当然として、複数人で歌う場合も、全く同じ1パートの旋律(メロディー)を歌うので、使うメロディーの構造そのものを変える以外に、バリエーションを持たせる方法が無いのですね。

 

なので、旋律に種類があり、それぞれに手法がある為に、リディアンやドリアンなどの「旋法」としてまとめられているわけです。

 

このチャーチ・モードは、現代ではポピュラーミュージックの基盤となっているので、当たり前すぎてそこまで実感がないかもしれませんが、言ってしまえばヨーロッパ発祥のロジックですよね。

 

それと同じ様に、アフリカにも、中東にも、インド、中国などのアジアにも、もちろん日本にもその地域特有の旋法があります。

 

この辺りは、世界各国の民族音楽を聴いてみるとわかるのですが、当然の事ながら、近隣の国(の文化)同士では、音楽構造に類似性があり、基準にした地域から、東西南北に進んでいくにつれて、文化のグラデーションを見る事が出来ます。

 

こうした世界中の音楽の中から、歴史上の様々な理由により、最も市民権を得たものが西洋音楽のロジックであり、世の多くの音楽がそのロジックをベースに構成されているので、我々は、まずそれを学んでいるわけですね。

 

次に、先ほど「単旋律」という言葉が出てきましたが、1つのメロディーのみで出来た音楽を「単旋律音楽(モノフォニー、monophony)」と言います。

 

これは、「mono」が「単一の、一つの」と言う意味なので、例えば「ドレミファソラシド」と言うメロディーがあったら、一人だろうが複数人だろうが、全員で同じメロディーを同じリズムで歌う(もしくは演奏する)と言うものです。

 

この辺りは、「グレゴリオ聖歌」などでyoutubeで検索してもらえれば、良い事例が出てくるでしょう。

 

で、この「全員で歌うメロディー」を構成するスケール(モード・スケール)の種類を変えたら、それはモードを変えた、と言う事になるわけです。

 

例えば、ある曲はアイオニアンで構成されていて、他のある曲はリディアンで構成されていたら、それらは違うモードの曲ですよね。

 

この辺りが、今現在「モード奏法」と分類されているもののルーツです。

(※ちなみにmonophonyなどの「phony」は「音、声」と言った意味になります)

 

続いて、「多声音楽(ポリフォニー、polyphony)」と言うものが出てくるのですが、これは簡単に言ってしまえば、モノフォニー+モノフォニー+・・・、で、複数の声部(≒パート)で構成していく音楽の事です。

 

「poly」が「多数の」と言う意味で、これのわかりやすい例が「かえるの歌」ですね。あの曲でピアノなどの伴奏がない状態で、複数あるメロディーパートの事だけを考えたものだと思って下さい。

 

かえるの歌は輪唱(同じメロディーを後追いで始める)のイメージが強いですが、ポリフォニーは必ずしも、複数のパートを同じものにしなければならないわけではありません。

 

この時、多くの場合、違うメロディー(やっている事の違うパート)が複数存在するわけですが、どのメロディーがメイン、と言うことは無く、それらが重なって全体でひとかたまり、というイメージです。

 

言葉を聞いたことはあるけども、ギタリストには馴染みが薄い音楽用語であろう「対位法」は、主に、このポリフォニーをどう作っていくのか?と言う手法ですね。

 

で、最後に「ホモフォニー、homophony」になるのですが、これは直接的な日本語訳が出てきませんでした。

 

「homo」は「同質の」と言う意味なのですが、何故この言葉が付いているのかについては分かりません。

 

これ自体は、要するに、「メインメロディー+伴奏」の構造を持つ音楽の事で、現代でポピュラーミュージックとされているものは、ほぼ、このホモフォニーの形態でしょう。

 

ホモフォニーの形態の場合、明確に調性が提示される事がほとんどなので、この調性の範囲内の事を「同質の」と定義しているのではないか?と今のところ考えてはいますが、確かな事は分かりませんでした。(※知っている人がいましたら教えて下さい)

 

ポリフォニーの時は「単旋律+単旋律(+・・・)」でしたが、ホモフォニーの場合は、メインメロディーとなる単旋律に、伴奏として和音が鳴っている状態ですね。

 

ポリフォニーは、複数の単旋律が同時に鳴っている状態なので、その音が重なれば和音ですし、ある範囲ではアルペジオ(分散和音)的になっていることもあるでしょう。

 

そして、出てくる音が増えれば増えるほど、その時に合う音と合わない音が分かっていき、それが結局、「和声」さらに「調性」の概念として体系化されていったのでしょう。

 

こう見ると、メインメロディーとしての単旋律(モノフォニー的なもの)に、伴奏として、多声音楽(ポリフォニー≒和音的なもの)から発展した「和声のロジック」を組み合わせたのがホモフォニーとも言えそうですよね。

 

なので、例えばヴォーカルメロディー(単旋律)に、ギターでコードバッキング(多声音楽)を付けたらそれはホモフォニー的な状態だ、と考えるとわかりやすいですね。
(※かえるの歌に伴奏を付けてもホモフォニーですね)

 

さて、話が長くなりましたが、おそらく疑問に思っているのが、ここまでの内容が、今までやってきたモード奏法にどう関係があるのか?と言う事でしょう。

 

これについては、結論から言ってしまえば、今、我々はホモフォニー的な観点でモード奏法を学んでいる、と言う事を理解する為に解説しました。

 

元々、旋律(メロディー)の事だけ(=単旋律)を考えるのであれば、各種スケールを羅列して、その音階でメロディーを作ってみればそれで済むわけです。

 

ですが実際は、完全な独奏でもない限り、バッキング(伴奏)がある曲がほとんどですし、その場合は、バックで鳴っているコードを完全に無視して、メロディーを奏でるわけにはいきませんよね。

 

よって、バッキングで演奏されている事の意味が分かってなくてはいけませんし、それは要するに、調性とも関わりが出てくるので、【教科書】等で解説している、ベーシックな音楽理論も必要になって来るわけです。

 

歴史を辿ると、主にクラシック系の芸術音楽の分野で、単旋律音楽(モノフォニー)→多声音楽(ポリフォニー)→和声の確立→ホモフォニーと来ています。

 

で、ポピュラーミュージックがホモフォニー的なわけですが、その中で、ビバップ的な「和音に基づいたアドリブ手法」に限界を感じていたジャズ系のジャンルの中で、再びモード的な考え方が取り入れられるようになった、と。

 

そうしてマイルス・デイヴィスなどが、1950年代の終わりごろに、「モード・ジャズ」として纏めていくわけですね。

 

このテキストで学んでいるロジックは、大きくは、その「モード・ジャズ」的なものです。
(※ジャズ風にはやっていませんが)

 

モード、モードと連呼されると、なんだか特別な事をやっている様な気がしてくるかもしれませんが、大元はモノフォニーのシンプルな形が始まりです。

 

最近のテキストに、各種モードを弾き比べたフレーズがありましたが、実際に音を鳴らしてみると、一つひとつ響きが違いますよね?

 

あの感じが、モノフォニー的なモード(旋法)の違いであり、それらのスケールを使って2声以上のパートで音楽を構成してみるとポリフォニーであり、その時に、同時に使うべき音を吟味していくと和声的、さらにそれらを組み合わせて主旋律+伴奏でホモフォニーである、と、こう言う事です。

 

さて、今回はモードの話だけでは無く、音楽全般の内容になりましたが、現代で我々がやっている事は、大きくはこの様な歴史の上に成り立っています。

 

こう考えると、複雑極まりないように見える音楽の分野も、ある程度すっきりするのではないかと思います。

 

今回のテキストを読んだうえで、もう一度、前にやった内容に取り組んでみると、また新しい発見があるでしょう。

 

モードとは、元々、旋律を構成する為の手法なので、訓練としては、実際に好きなモードを使ってメロディーを作ってみるのが一番いいですね。

 

そういった段階を経て、本当の意味で、その手法を使えるようになった、と言う事が出来るでしょう。

 

では、今回は以上になります。

 

ありがとうございました。

大沼

 

 

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